haruとkikiのコスタリカ滞在記

60代になってからの夫婦コスタリカ滞在記

2019.2.21

今日はこの旅行の観光としての最終日で、首都のマドリッドを観光します。
 まず、王宮とアルムデナ大聖堂を観に行きました。王宮には、150m四方の建物の
中には、2700を数える部屋があり、現在も公式行事に使われている。王室は別の
場所に住んでいる。また王室の向かいに建つアルムデナ大聖堂をアルメリア広場から
外観を見ました。
 次にチュロスという揚げ菓子とチョコラ―テ(ホット・チョコレート)ひと筋の老舗
に行き、かりかりのチュロスをどろっとしたチョコラ―テに浸して食べました。
 その後、マッシュルームのタパスがおいしいバルでランチをいただきました。
そして、ソフィア王妃芸術センターに行きました。おもに20世紀の現代アートを所蔵する
美術館。広い空間を贅沢に使った館内にピカソ、ダリ、ダビエスをはじめとする現代美術
の巨匠たちの作品が集められている。
 プラド美術館では、ガイドの説明を中心に聞き、着衣のマハを見て、裸のマハは
特別展をやっているので、そちらを見てください、ということだったので、見に行き
ました。
 最後に、レアル・マドリッドのホーム・スタジアムのサンチャゴ・ベルナベウを見に
行きました。今年から改装費用として764億円をかけて、改装に入るとのことでした。


・王宮(アルメリア広場から)

・アルムデナ大聖堂(アルメリア広場から)

・ソフィア王妃芸術センター(ダリの《大自慰者》(1929年))

・ソフィア王妃芸術センターにて(ダリ、窓辺の少女)

・サンチャゴ・デ・ベルナベウ(レアル・マドリッドのホーム・スタジアム)
 収容人数8万1千人でFCバルセロナのカンプノウ・スタジアム(9万8千人)に次ぐ大きさ

・プラド美術館にて
 着衣のマハと裸のマハ(WEBサイトより)

「裸のマハ」の画像検索結果

2019.2.20

今日の行動は、コルドバからトレドで観光してから最終目的地のマドリッドへ
バスで行きます。
 トレド(Toledo)は、16世紀のマドリッド遷都まで都として栄えた。
紀元前2世紀にローマに征服されて以降、さまざまな民族に支配され、キリスト教、
イスラム教、ユダヤ教が混在する独自の文化が育まれてきた。中世の偉大な宗教画家
エル・グレコ(El Greco)が半生を過ごした場所としても有名。サント・トメ教会では、
グレコの傑作「オルガス伯の埋葬」を鑑賞することができました。

旅スペイン・コムのWEBサイトより
 実在したオルガス伯爵が私財を寄付して教会を修復し信者たちに感謝された。
 1323年にオルガス伯爵が亡くなった折この教会でお葬式をしているとトレドの
 守護聖人でもある「二人の聖人が天から降りて来て遺体の埋葬を手伝った」と
 いう伝説を16世紀にエルグレコが作品にした。絵の中に
エル・グレコと息子の
 ホルヘ・マニュエルが登場する。それ以外のお葬式に参列している人物達も全
 員エルグレコの時代の実在した人々がモデル。


・トレドの市街を臨む

・オルガス伯の埋葬(画像はWikipedhiaより、記事は「地球の歩き方」より)
 画面の下部は、聖アウグスティヌスと聖ステファヌスが地上に下りて伯爵の遺骸を
埋葬しているところを表したもので、その周囲の人物は実在した人たちといわれれて
いる。また上部には、雲上のキリストと聖母マリアに伯爵の魂が天使によってささげ
られている場面が描かれている。
El Greco - The Burial of the Count of Orgaz.JPG

2019.2.19

 ビゼーのオペラ「カルメン」や「セビリアの理髪師」の舞台として知られるセビーリャ。
ダイナミックな歴史を持つだけに街なみは華やかで、スペイン第4の都市としての風格も
備えている。ローマ時代には西ゴート王国の首都があった町であるが、ジブラルタル海峡を
渡ってきたモーロ人に征服されたのは712年のこと。以来セビーリャはイスラム文化繁栄の
舞台となる。グアダルキキビル川に面した良港としての地理的条件が幸いし、また、コロン
ブスが新世界(キューバとアメリカ大陸発見)との交易独占権を確保。ヨーロッパ最強国の
地位を確立しつつあったカスティーリャ王国の繁栄を支える町となった。

 コルドバは、紀元前2世紀、ローマ帝国の植民地から発展し、8世紀半ばから11世紀初め
は、イスラム王朝、後ウマイヤ朝時代の都として栄華を極めた古都。地中海貿易を押さえ、
学問・芸術の中心地として世界に名を馳せた。観光の中心地となる旧市街は、今でも城壁
に囲まれて栄華を謳歌したイスラム時代の遺構を垣間見ることができる。
 711年にイベリア半島に侵攻したイスラム教徒は、占領した土地をアル・アンダルスと
呼び、その首都をコルドバにおいた。756年には、バグダッドのアッパース王朝によって
ダマスカスを追われたウマイヤ家の最後のひとりが、アブド・アッラフマーン1世として
コルドバで即位。
この新王朝は後ウマイヤ朝(西カリフ帝国)と呼ばれ、929年に即位したアブド・アッラ
フマーン3世の時代に全盛期を迎える。当時のコルドバの人口は50万人、町には300もの
モスクが建てられ、東ローマ帝国の首都であったコンスタンチンノーブルとその繁栄を
競った。
 1)メスキータ(スペイン語でイスラム寺院のこと)⇒世界遺産
  後ウマイヤ王朝の創始者アブド・アッラフマーン1世の命を帯び、785年に建てられた。
 その後4回増築され、数万人を収容できる巨大なモスクとなった。しかし13世紀キリスト
 教統治時代には内部にカテドラルが造られ、イスラム教とキリスト教の2つが共存する珍
 しい建物となった。
 2) ユダヤ人街⇒世界遺産
  メスキータの北側に広がるユダヤ人街は、かつて、スペインの政治経済を支える存在で
 あったユダヤ人によって造られました。
イスラムの歴代の支配者に厚遇され、地位を保持
 していたユダヤ人ですが、1492年にレコンキスタが完了すると、その地位は一変します。
 レコンキスタ終了後、イサベル1世とフェルナンド2世のカトリック両王によって、ユダヤ
 人追放令が発布されます。それにより、この街からユダヤ人は姿を消します。


・セビーリャ大聖堂⇒世界遺産(Wikipepediaより)
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・スペイン広場(セビーリャのイベロ・アメリカ博覧会の会場として建てられたもの)


・メスキータ内部(モスクの円柱)

・メスキータ内部(キリストのカテドラル上部)

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